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石見問屋の若旦那は、実は私の夫です。島根県知事も認めるナイスパートナーでござ います♪
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◆福原慎太郎さんのお話を私が、お受けした理由
私が、はじめて、福原慎太郎さん(現:島根県益田市長)のお名前を知ったのは、4年前、月刊しまねiwamiマガジンの取材で益田市に行った時だった。
ちょうど、市長選の最中で、福原さんの選挙カーと、何度かすれ違った。
保守的なイメージの過疎の地で、こんな若い人が市長選に出馬をすることが意外でもあったが、もともと石見の中でも益田市には、取材をしたくなるようなオリジナリティのある飲食店が多いことなどから「進取の気性」を感じとっていたので、やはりここは、そういう土地柄なのだなと思った。
そして、こんな若い方が、当選されれば、地域も刺激を受けて変わっていくだろうにと、心ひそかに応援していたのだが、結果は残念なものとなった。
それから数ヵ月後、浜田市で開催された「6時からセミナー」の交流会で、福原さんに直接お会いする機会があった。
激しい選挙戦を戦ったとは思えないほど、ニコニコとほがらかで温厚な雰囲気の青年だった。しかし、お話のはしばしから、ただ温厚なだけではなく、しっかりとした信念と高い志を持った方だと感じた。
「4年後の選挙は、頑張ってください。石見を愛する一人として、応援しています。」確か、そういったことをお話しさせて頂いたような気がする。
その後は、益田市で講演をさせて頂いた際にいらしてくださったりと、年に1度くらい、そういった公的な場でお目にかかる程度の、友人というよりは、知人といった感じのお付き合いだった。
しかし、同じ石見を愛するものとして、また地域の活性化を目指すものとして、私にとっては、ただの知人というよりは、「同志」に近いような存在の方であった。
その福原さんの2度目の選挙選が訪れた。選挙権はないものの「何とか今回こそは!」と、心の中で応援をし、心配をしていたが、突如うれしいニュースが飛び込んできた。
その時の気持ちは、この日のブログの中に記している。
しかし、その後、新聞報道などに接するたびに、ご苦労をされているのではないかと激励のメールでもお送りしたいと思ってはいたものの、それほど親しいわけでもなく、公人となった方に、益田市民でもない私が余計なことをするべきではないと、遠慮していた。
そんな中、8月の中頃だったと思うが、ご相談したいことがあると、福原さんから連絡があり、数日後、こちらにいらっしゃった。
どんなご用件かはわからなかったが、私なりに「空き家とか定住施策のヒアリング」かな、とか「何か委員会をたちあげるので、委員の依頼」かな、とか「アドバイザーの依頼」かな、などと推測した。
これらは、県内外の自治体などからもよくあるお話なので、そういったものかと思っていた。
時候の挨拶や世間話などの後、福原さんは、「益田市には、素晴らしいものがたくさんあります。河部さんのお力で益田の素晴らしい地域資源を存分に活かしてください」確か、そういったことを言われた。
「そうですね。高津川は2年連続清流日本一ですし、高津川のアユは、顔が精悍で、本当に美味しい、持石海岸も大好きだし、匹見峡も素晴らしいですね。美都という名前も美しい。しかも、食いしん坊の私には、取材したくなるようなおいしいお店がたくさんあり、何度も取材に行きました。また、何よりアンダンテ21さんとか、赤雁の里さんとか 萩の会さんとか、ステキな人たちもたくさんいらっしゃる、・・・・で、何かそういった地域資源の活性化委員会か何かを?」
と、申し上げると
「いえ、副市長として、おいでいただきたいのですが」と、おっしゃった。
「え~~~~~~っっっ、ふふふふくしちょお~~」と、あまりにも唐突であり、意外な言葉に正直驚いた。そして、「ありえない」と速攻思い、「ありえないです」と、速攻お答えした。
「どうしてですか」とほほ笑みをくずさずに、おっしゃる福原さん。
そこで、私は「ありえない」理由を次の様に列挙した。
1)私は、大学時代に勉強をまったくせず、2度も留年し、ろくなやめ方もしておらず、社会人も、フリーター(当時、そんな言葉もなかったが)からの出発ですし、ま、いわば落ちこぼれ、アウトサイダーです。
(個人的には、副市長というポストが、高学歴で真面目な人生を歩んだ人しか、なってはならないものとは、全く思ってはいないが、一般の多くの人がそう思いこんでいるであろうと、あえて「ありえない」理由として、一番に挙げた)
これに対して、福原さんは、「ますますいいですね。いろんな立ち場で、いろんな経験をされた方なら、いろんな方々の気持ちがわかると思います。」とサラッと答えられた。
実際には、ここに書いた以上に、もっと大げさに、自分をワルッぽく表現したので、内心「ひるむかな」と思ったのだが、意外な回答に、「中々たいした男だ…」と、正直思った。が、負けてはいられない。
2)私の様な人間は、「野に放していた」方が、良い仕事をします。30歳で、独立して以来、ほとんど「決まった時間に、決まった場所に行き、決まった真面目な仕事をする」という事をしていないので、そんな環境下に置かれると、窮屈で、良い仕事ができないと思います。しかも行政経験もありません。
「市役所には、行政経験が豊かで、優秀な職員がたくさんおります。そういう能力や経験を期待するならば、河部さんにお願いをしません。」
…そりゃそうだ。。。
「河部さんの感性や経験を、河部さんらしく活かして、益田のために、フルに発揮して頂きたいのです」
そこで、私は、
3)私は、特定の市町ではなく「石見」全体の地域振興を目指しています。
と、お答えすると、
「そうなんです。石見は本当に危機的な状況なんです。もう一刻の猶予も無いと思います。しかも、それぞれの市町村が単独で頑張るだけではとても生き残れません。石見地域での連携が重要です。でも石見地域はこのままでは変わりそうにありません。このままでいくと私と河部さんがそれぞれの地域で変えるスピードよりも石見の衰退の方が早く来ます。だからこそ、益田市で河部さんの力を存分に発揮していただいて、益田市を突破口に石見全体を変革していきましょう。益田市がよくなれば、必ずや石見も変わります。」そう力強くおっしゃった。
「確かに…」と、思わざるを得ない。
しかし、しかし、
4)小規模とはいえ、私はNPO法人 結まーるプラスの理事長です。今の活動をやめるわけにはいきません。
「そうですね。どこまで河部さんが地域での活動をされているかがわからなかったので、そこが、私もちょっと躊躇したところなんです。」
案外、素直にそう答えられるので、今度はこちらが意外にびっくり。
5)最後に、これが私にとっては、一番大きな理由かもしれませんが、私は夫ととっても仲が良く、実は夫がいないと、何もできないくらいのさみしがりやで、毎晩夫と、酒を飲みながら、いろんな話をするのが楽しくて、楽しくて、夫がいないと、さみしいというよりは、「つまらない」。とにかく、離れて暮らすことは、考えられないです。
これについて、福原さんがなんとおっしゃったかは、今はよく覚えていないが、両者譲らず、一進一退を繰り返しながら、話は、これからの石見のこと、社会のこと、政治のこと、地域のこと、時代のこと、様々な話題で盛り上がり、夫も交えて、気がつけば、3時間くらい時間がたっていた。
最後に、「ぜひお引き受けいただけませんでしょうか。良いお返事をお待ちしています」と、礼儀正しく、頭を下げてお帰りになった。
その姿を拝見し、私の頭の中に、中国の故事の「三顧の礼」という言葉が去来した。(図々しくも、我が身を「諸葛孔明」になぞらえている訳では、ま~~~ったくございません。念のため♪)
おだやかな笑顔の裏に、私などにはかなわないような、筋の通った信念を感じ取ったのであった。
このブログでも何回か書き込んでいるが、私は、積極的で、能動的に行動しているように思われがちだが、実は、基本的には受動的であり、「我が意」よりも、「天意」に従って生きていくことを心がけている。
そのため、人から頼まれたことも、小さな自分の常識や気持ちで判断せず、これも何かの「ご縁」かもと、流れに任せる様に、できるだけ「断る」ということをしないようにしている。(そのため、○○委員といったものが、あのようにたくさんになってしまったのだが。。。)
しかし、今回のお話は、「はい、そうですか」と、安易にお引き受けできるようなものではなかった。
実は、即答で「ありえません」と、お答えしたのは、自分が益田市に住み、副市長という重責を担うというイメージができなかったからである。
私は、根っからのプランナーで、何をするにも、まずは自分の頭の中にイメージを描き、そのイメージを具現化していく。頭の中にあるということは、誰の目にも見えない、まさに「無」の状態で、その「無」のものを、「有」のものに、創造していくことに喜びを感じるのである。だから、自分の中で、イメージできないものは、具現化できない、現実化できない、「ありえない」ものなのである。
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余談だけれど、日本語は面白いと思う。
私は、「そうぞうりょく」という言葉が大好きだ。
想像力と創造力。同じ音でありながら、私にはたまらないコンビネーションに感じる。
想像(イメージ)は、誰かの頭の中にあって、目には見えない。
しかし、見えないイメージを、創造(クリエイト)していくと、「無から有」が生まれる。
プランナー的にいえば、「想像力」は、「リサーチ」の段階に最も必要で、「創造力」は、「プランニング」の段階に強く求められる。
この二つの「そうぞうりょく」は、どんなに科学が発達しても、機械やコンピューターがかなわない、人間ならではの醍醐味ではないかと思っている。
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つまらん話を失礼しました。。。
ということで、自分にとっては、「ありえない」お話であっても、仮にも、益田市民の多くの皆さんからの直近の支持を得られた、益田市民の方々の代表でいらっしゃる方が、ご多忙な中、わざわざおいでくださったのである。
やはりここは、福原さんのお申し出を、きちんと受け止め、きちんと考えて、きちんとお返事をしなければならないと思った。
そこで、私は福原さんの公約をじっくりと、読んでみた。
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項目だけをあげると、次の63になる。
★市政改革
1 副市長に女性登用
2 市長給与30%カット
3 財政改革断行
4 インターネット市議会中継
5 「市長公室(仮称)」設置
6 「市民活動支援センター(仮称)」創設
7 1%支援制度
8 予算提案制度
★教育・子育て
9 教育委員会改革
10 学力向上プロジェクト
11 郷土教育充実
12 日本語教育充実
13 「益田市教育審議会」設置
14 小中一貫教育
15 「農林漁業体験」
16 食育
17 起業家教育
18 乳幼児医療費助成延長
19 第3子以降出産祝い金
20 子育て支援強化
★産業・経済
21 地域経済体制強化
22 益田産業振興機構(仮称)
23 既存企業支援
24 入札改革
25 「健康食品関連産業」集積
27 「益田牛」プロジェクト
28 「高津川」
29 トップセールスと「営業本部」設置
30 産業振興支援センター(仮称)
31 ケーブルテレビ推進
★医療・福祉
32 医療体制強化
33 在宅医療・在宅介護
34 健康寿命日本一
35 がん対策強化
36 ユニバーサルデザイン都市
37 危機管理体制構築
★文化・観光・環境
38 「集客交流部」設置
39 「集客交流戦略会議」設置
40 美しい景観都市
41 赤瓦の町並みづくり
42 撮影の町
43 SL誘致
44 「益田市観光フェア」開催
45 広島市への集中PR
46 「益田学」の確立
47 古民家再生プロジェクト
48 「石見ブランド」プロジェクト
49 環境先進都市
★中山間地対策
50 出先機関強化
51 「地域活性化本部(仮称)」設置
52 商品開発研修生制度(仮称)
53 中山間地活性化塾(仮称)
54 一村一軒運動(仮称)
55 地域の足の確保
56 ネット環境整備
57 不伐の森(益田市民の森)条例
58 市民の知恵とエネルギーを活かす「ふるさとの道(仮称)」
59 空家対策
60 鳥獣対策
61 「益田市地域づくり大賞(仮称)」創設
62 県中山間地域研究センター西部拠点誘致
63 首相視察要請
これら項目には、それぞれ具体的な内容が書かれているのだが、それを読みながら、市長になれるか、なれないかもわからない中、この一字一句を、益田市民の皆さんのことを思いつつ、この63もの施策を丁寧に真心こめて書かれたのだろうなぁと、思うと万感胸に迫るものがあった。
一文、一文の行間に、福原慎太郎という人の、信念というか、使命感、もっというなら「命」そのものを感じた。
そして、個々の項目については、「あ、これならああやればいい」、「あ、これはこうしてこうすると効率的だ」など、自分の得意分野を見ると、具体的なアクションのイメージが次々と浮かんできた。
そして、このすべての公約というかマニフェストが本当に実現されたら、益田市は、良くなる。そんな市だったら、一市民として私も住んでみたくなるほどだと思った。
そうなることに、私も役に立つことができるとしたら、こんなやりがいのあることはない。「役にたちたい」、「やってみたい」そう思った。
そういう思いになると、不思議なもので、私の挙げた「ありえない」理由も、「ありえるのではないか」と、思えるようになってきた。
●かわべまゆみは、落ちこぼれであった。
●かわべまゆみには、行政経験がない。
この2点については、益田市民の皆様の直近の支持を得られた、益田市長でいらっしゃる福原慎太郎さんが、「問題ない」とお考えになっているのであるのであれば、私は、事実をお伝えするだけで、私自身がどうこういうことではないと思う。
●かわべまゆみには、NPO法人結まーるプラスの仕事がある。
このことに関して、よくよく考えてみると、私たちの活動は、
(1)「攻め」の石見の地域振興
(2)「守り」の桜江の地域活動
に大きく大別できるのだけれど、現在の私の役割は、「石見問屋の若女将」とか「月刊しまねiwamiマガジンの編集長」であるとか、全国各地で「勝手に石見PR隊長」であるとか、これまた誰からも頼まれていないのに「勝手に石見をマーケティング」したりと、(1)の活動がほとんどなのである。
ちなみに、「行政経験」は無いが、「頼まれてもいないのに、勝手に公務員」歴は長い。
(2)の、「空家・空地の活用」や「定住・交流促進」、「さくらえサロン」、「自警ネット」、そして今バリバリに取り組んでいる「旅行業参入事業」などは、夫である河部安男理事を中心に、他の理事やスタッフ、また江津市や地域の企業や地域住民の皆さんとの協働体制で取り組んでいるのが現状である。
空き家活用なども、既にシステム化されて、正直、私などいなくても、ほとんど支障はない、ということに気がついたのであった。。。
●かわべまゆみは、特定の市町ではなく「石見」全体の地域振興を目指している。
これについては、逆に大きな意義を感じた。
先ほど、「石見問屋」とか「月刊しまねiwamiマガジン」を例に挙げたが、正直「石見」といいながらも、PRしている情報は、私たちの拠点が桜江であることから、「石央」「石東」エリアに偏りがちなのである。
特に、マスコミからの問い合わせが多い、「石見問屋」については、紹介している「石見の仕事人」14名、「石見のオピニオン」7名の全員が、「石央」及び「石東」エリアの人たちというのが、現状なのである。
益田市の地域資源を発掘し、地域振興に貢献することは、「石見全体の地域振興を目指す」私にとって、矛盾するどころか、「しなければならない」ことでもあったのだ。
●かわべまゆみは、真面目なポストが苦手だ。
●かわべまゆみは、さみしがりやで一人暮らしがつらい。
これこそ、「甘えるな!」という感じで、私がガマンすればいいことだ。
しかし、この「さみしい一人暮らし」に関しては、夫が「もし決まったら、わしも益田に行くから。でもわしは、NPOのことやらんといかんから、2時間くらいかかるけど、毎日桜江と益田を行き来すれば済む話だから。」と、軽く言ってくれた。
それから、私は、先に挙げた福原さんの公約をはじめ、益田市関係の様々なホームページなどを見て益田市をリサーチした。そして、益田市で本当に私がお役にたつことができるだろうかと、熟考した。
そして、
「やはりお断りした方がいいだろう…」
「いや、ああいうこともやってみたい。こんなことしたら、いいよ~~~!」
「いやいや、打たれ弱いからへこむからやめよう…」
「なんじゃ、根性無し!」
などなど気持は、日々揺れ動いた。
もし、お受けすれば、行政経験がない、地域で大したことをしていない、肩書だけ、目立ちたがり屋、いろんなことを言われるだろう。
しかし、私などより、もっと厳しい状況に立たされるのは、福原慎太郎さんご自身なのだ。
男性でもなく、行政出身でもなく、しかも市出身でも、県出身でもない人間を任命するというのは、全国的にも極めて珍しいケースかもしれない。普通に考えれば、とんでもないリスクを背負うことになる。定石通りやっていた方が無難だし、同じ結果となっても、定石通りにしていた方が、評価は有利な筈だ。
しかし、あえて福原さんは、とんでもない大きなリスクを背負って、覚悟と決断をされたのだ。従来通りのやり方では、この危機は脱することはできない。固定観念や慣習や常識にとらわれていては、本当の変革はできない。そう思われたのではないだろうか。
益田市の地域振興に、どれだけ私がお役に立てることができるか、それは、私などが考えることではないかもしれない。益田市と益田市民の皆さんのことを、今、一番一生懸命に考えておられる福原市長その人こそが、お考えになるべきことなのだ。そして、その結果、今の益田市に私が必要だと思ってくださったのならば、そのお考えにお応えする事こそが、むしろ私がとるべき「礼」ではないかと思った。
福原さんがおいでになった時に、「なぜ、私なのですか?」と伺ったら、私の経験や性格などいくつかの理由を挙げられた。
その中で、私の印象に一番残ったのは、「こんな時、河部さんだったらどうするだろう。河部さんにやってもらうと良くなると思う…。不思議なんですが、河部さんっていうことが、ふっと自然に降りてきたという感じがありました。」と話されたことだった。
この先、どうなるのかはわからない。
もし、益田市に行くこととなったら「行け」ということなのだろう。
行かないことに決まったら、「行くな」ということなのだろう。
どちらにしても、それを「天意」と、受け止めて、与えられた環境の中で、最大限、自分のできるベスト以上を尽くそう。
そう、素直に思えるようになった頃、福原さんから電話を頂いた。
「益田市の副市長の件について、考えていただけましたか」という言葉に、
「覚悟はできました。お受けいたします。」と、お答えした。(つづく)
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長い文章を最後まで、お読みいただきまして、ありがとうございます。
次回は、現在の状況下で、今、私が何を考え、思っているか、という点についてご報告いたします。
本日より、3日間、「東京のクリエイターが検証する石見の魅力発見ツアー」です。
これまた、面白い企画ですので、こちらもまた、ご報告いたします。
それでは、只今より、皆さんと石見銀山に行ってきま~~~す!♪
日時: 2008年10月11日 09:51
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