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石見問屋の若旦那は、実は私の夫です。島根県知事も認めるナイスパートナーでござ います♪
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「消滅に向かう過疎地」を「極上の田舎」とするためにチョっとイカレタ仲間たちと 取り組んでます。
石見での田舎暮らしに関心のある方は必見。UIターンして来た人の紹介や空き家情 報など。
これからのまち作りの要は「地域のチーム化!」。結まーるプラスの活動のひとつで す。
2000年にスタートした石見地方の観光&定住情報満載サイト。この編集長もやってい ます。
〒699-4226
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TEL:0855-92-8015
FAX:0855-92-8016
E-mail:info@kawabemayumi.net
慌ただしい一週間であった。。。
7月30日、夫は東京へ、私は松江へ。夫は経済産業省で現在着手しかかっている事業のプレゼン。私は、島根県の文化ファンドの審査委員会。
その後、教育長の藤原さんを訪問。教育長というと、ものすごくえらい人という感じだけれど、私などにも気さくにあってくださり、いろいろとお話も聞いてくださる、ありがたい方なのだ。何より、故郷をとても愛しておられる方で、多くの若い方々に慕われていらっしゃる。
幕末で言うならば、長州の周布政之助という感じの、魅力的で頼もしい方だと思う。
その後、島根県庁の若手の皆さんと酒を飲む。大いに飲む。いつもの通り、最後の方はあまり覚えていないけれど、と~~っても楽しいひと時をおくらさせて頂いた。
翌、31日は、同じく松江で、山陰中央新報社の「報道と読者の委員会」に出席。このように松江での用事が2日続きであると、時間が節約できて効率的だ。。。結局、飲んでるんですが・・・。
終了後、出雲駅まで行き、東京から戻ってきた夫と合流。
二日合わないと互いにつもった話で、盛り上がる。
翌8月1日は、「月刊しまねiwamiマガジン8月号」のアップ。丸8年間、通産98号目。島根に来てから、一番はじめに手がけ、一番長く続けている活動だ。
月刊しまねiwamiマガジン
今回は、久しぶりに、「かわべまゆみのいわみ大好き♪」もアップした。
よかったら見てね♪
隠れた人気コーナースタッフボイスもあるよ。
そして、夜は定住サロン。(また飲み・・)
午後からは、その準備のため竹トンボおじさんやまるちゃんが来てくれ、夫も一緒に、そうめんをゆでたり、七輪でウルメ焼いたり、暑いので駅に水をまいたりしたのだが、そういう時に本当に、「幸せだな~」と感じる。
環境に恵まれ、仲間に恵まれ、ありがたいことと思う。
定住サロンは、いつものように、楽しくにぎわった。今回は、テレビの取材も入っているので、ちょっと品よく飲んだ。(ハズ)
これで、温泉津の海で泳げたら言うことなし!なのだが、今年はまだ一度も海に行けていない。。。
2日は、一日テレビの取材。3日は洗濯や掃除などの片づけ。そして、本日は、江津市の社会教育委員会に出席した。
「社会教育委員」というのは、私を知っている人は、「ぷっ!」と、吹き出すのではないかと思うくらい、私らしくないのだが、桜江町役場一番のイケメンの方に依頼されたこともあり、断れなかったというのが、正直なところである。。。
しかし「らしくない」と言うのは、逆に勉強になる。本日も、小中学校の校長先生の、現場の本音をナマで伺うことができ、日本の教育問題について、大いに考えさせられた。
都会で暮らしていた時は、時代の先端にいて、そこそこ世の中のことをわかったつもりでいたけれど、島根に来て、それが大きな大間違いであることに気付かされた。ここで暮らしてみて、初めて日本の国の在り方とかシステムとか、人々の暮らしとかがおぼろげながら、見える様になった気がする。
「井の中の蛙、大海を知らず」というけれど、大海に生きる魚たちが、全世界の海事情を知り尽くしている訳ではなく、磯に生息するものや、沖合いにいるもの、浅瀬に住むもの、深海魚、北に棲むもの、南の海に生きるもの、回遊魚でも回遊ルートは決まっているだろう。
大海のどこか「部分」で生きている。
人間の社会でも、芸能界とか、経済界とか、政界とか、◎◎業界という、それぞれの「界」の中に生きているのがほとんどではないだろうか。
私は、「プランナー」という職業だったから、周りの知り合いは、コピーライターとか、デザイナーとか、イラストレーターとか、エディターとか、広告代理店の人とか、WEB関係の人とか、いわゆる「クリエイター系」の人がほとんどだった。
もちろん、年代もあまり変わらない人が多く、子供たちやお年寄りと触れ合うことも、まったくない。
渋谷に住んでいるからと言って、渋谷区役所にも、東京都庁にも、知り合いはまったくいなかった。
しかし、田舎で暮らしてみると、規模は小さくても、大海のミニチュア版にいるようなもので、さまざまな職業の人、さまざまな年代の人に出会い触れ合うことができ、世の中の仕組みを肌で、感じられるようになった気がする。
たとえば、渋谷区役所に一人も知り合いはいなかったけれど、江津市役所には、30人以上は、知っている人がいる。島根県庁には、50人以上知っている人がいる。また不思議なことだが、東京にいたころは、30分で行ける霞が関にいく事など、ほとんどなかったが、今は7~8時間かけて、しょっちゅう霞が関に行っている。
もちろん行政関係だけではない、政治家の皆さんもそうだ。渋谷区議とも、東京都議とも、話をしたことすらないけれど、江津市議や島根県議の方々には、何度も何人にもお会いしている。親しくお付き合いをさせて頂いている方もいる。
おまけに、今度はよく存じ上げている方が市長にもなられた。
もちろん民間の皆さんでも、東京のころはほとんど出会うことがなかった、農業、林業、水産業に従事される方ともお知り合いになれた。また、島根だけでなく、全国各地にもお知り合いができた。今日のように、小中学校の校長先生のナマの声を聞く機会もある。大学教授の方々にも、多くであった。
勉強ができない私が、大森彌先生という素晴らしい先生に教えを請う機会も頂いた。(3日後には、またお会いできる♪)
私が今いる川戸駅には、地元の小中学生の登下校でにぎわい「おはようございます!」「ただ今、帰りました!」と、元気に声をかけてくれる。
65歳を過ぎたら、もう老後だと思っていたけれど、元気なお爺ちゃん、お婆ちゃんがたくさんいる。
86歳で、ウインドウズでネット通販、マックでアーカイブしている、スーパー爺ちゃんもいる。ネット通販では、しっかり儲けている。
都会で暮らしている時は、予想もしなかったコトやヒトにたくさん出会った。
他にも例を挙げればきりがないけれど、「田舎=小さな世界=井戸」ではなく、「大海の縮図」なのだと思う。だから、小さな私でも、「大海=社会」のことを学べたような気がする。
また、都会の姿も、離れたからこそ見えてきた。
富士山に登っているときは、富士山の形は見えないけれど、富士山から離れると、富士山の形がよく見える、そんな感じかな。
日時: 2008年08月01日 10:32
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