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こんにちは! かわべまゆみです。1999年に東京から島根県に夫のUターンにお付きIターンして参りました。
そこで待っていたのは、笑いが止まらないほどハッピーでエキサイティングな田舎暮らしの日々でした。

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●「てご」

26日、四国の経産省の方々が視察&ヒアリングにいらっしゃる。私は、翌日の大阪でのUIJターンのイベントのPOP類を作らなければならないので、夫に対応してもらう。
これから、年末にかけて、怒涛のように視察が相次ぐ。すべてを私が対応するには、物理的にもう限界になってきた。
午後から夫は、私の作ったPOP等を持って大阪に出張。時間に余裕があれば、私も行きたいところだけれど(大阪は美味しいものが多いし♪)、時間節約のため行かなかった。
夜は、気合いで「翔ぶが如く5巻」を読むが、まだまだ読み上げることができない。


27日、できれば一日、「翔ぶが如く」を読み続けたいのであるが、近所の方が亡くなり「てご」しなければならなくなった。
この地域では、近所の方が亡くなると、みんなでお通夜やお葬式のお手伝いをするのである。「てご」というのは、「手助け」という意味なのではないかと思う。
自分の集落ならば、一家から2名が二日間。隣の集落ならば、一家から1名が2日間、出ることになっている。仕事があっても、休みをとり、この「てご」は優先される。


ちゅうことで、我が家からは父と私が出ることとなった。男性は、通夜や葬式の会場設営や、帳場担当。
時間にも余裕があるので、ちょびちょびお酒を飲みながら、どちらかというとのんびりとした感じである。
それに引き換え、お料理担当の女性は大変だ。
この日も朝7時半から夜7時半くらいまで約12時間、75人分の昼食と夕食の準備、おさんどん、かたづけで大忙しであった。


一人しか出なくて良い時は、我が家の場合、父か夫が出ることが多く、これまで私はほとんど参加したことは無かったのだが、今回は男女各一名ということなので、本読みたい、仕事したい、というワガママは通用せずに「てご」をさせて頂いた。
もちろん、私のような新参者は、基本的に雑用くらいしか役に立たず、先輩の皆様の指示に従い、洗い物やら、お使いやら、配膳など。もともと、身体を使って働くのは好きなので、充実した一日であった。
どちらかと言うと、いつも自分がリーダーだったり、責任者だったりすることが多いので、人に言われたとおりにやるのは、楽だなぁ~と思った。そして、ゴボウとか、ずーっと切っていたりすると、「あ~楽しいなぁ。毎日やりたいなぁ。」とか思う。2升5合のお米を2回、計5升も研ぐこともできた!こういうことにも、小さな達成感を感じる。


私に、変な使命感みたいなものが無かったら、人に言われた通りに、雑用とかパシリとかでも大満足の人生だと思う。
テレビとか新聞とかに出たりして、派手な目立ちたがり屋と思われがちだけれど、それは本当の私ではない。(ということは、夫だけが知っている…。)

しかし、本来なら今日も「てご」に行かなければならないのだけれど、これから鹿児島県大口市へ、明日は鹿児島市へ講演のために向かう。
「てご」は私の代わりの方はいくらでもいらっしゃるし、私の「てご」などあまり役に立たないけれど、お受けした講演には代わりはいない。私が行かなければ、多くの方々にご迷惑をおかけしてしまう。
ということで、申し訳ないけれど、鹿児島行きを優先させて頂いた。
だからこそ、「てご」できる時は、一生懸命、一生懸命、一生懸命させて頂こうと思う。

新幹線に間に合わないので、もう出ます。
行ってきます!

日時: 2007年10月28日 09:09

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