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こんにちは! かわべまゆみです。1999年に東京から島根県に夫のUターンにお付きIターンして参りました。
そこで待っていたのは、笑いが止まらないほどハッピーでエキサイティングな田舎暮らしの日々でした。

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◎益田はスゴイ!その壱 

6日は、益田のオンリーワンクラブさんに呼ばれて講演、その後交流会があり、夜は会場でもあったペンション「族」に宿泊。海沿いのペンションで、ザーッという波の音で目が覚めたのが、爽やかで心地よかった。
益田には、これまで何度も取材などで、行ったけれど、このペンションは、初めてである。なんといっても、日本海を眺めるロケーションが最高である。

ところで、今回の益田では、本当に様々な貴重な情報を得ることができ、素晴らしい見聞をさせてもらった。


前々から、益田市というところは、食文化が石見の中でも一番素晴らしいところだと思っていたが、やはりそれには、それなりに理由があるものだと納得した。今回は、素晴らしい地域おこしを各地で、行っている名物おまわりさんの園山さんという方にお会いしたのだが、その方が、翌日に益田の知られざる名所をガイドしてくださり、とても勉強になった。
石見のことは、月刊しまねiwamiマガジンの取材で、それなりに知っているつもりであったが、いやあまだまだ奥が深い、やっぱ石見はスゴイ!と、感嘆させられた。ちゅうか勉強不足を反省。。。

今回の新たに得た益田に関する情報は次の通り!
●柿本人麻呂生誕伝承地が益田にあり、幼少期に養育したという綾部さんという家は、なんと49代め!
しまね観光ナビの情報によると
・・・・代々戸田柿本神社の宮司を務める綾部家には、次のような話が伝わっています。
 「昔綾部氏は大和に住んでいたが、柿本氏の支族が石見へ下る際に同行し、語家(かたらや=語り部)として仕えた。ある時柿本某が語家の女との間に一男をもうけたが、父親は若くして亡くなり、語家がその子を養育した。これが柿本人麻呂である。」・・・
終焉の地が、いろいろあることは、知っていたけれど、生誕地まで石見にあったとは!園山さんによると、柿本一族は、大陸から渡ってきたのではないかということだ。それが証拠に、戸田柿本神社に伝わる「人麿七体像」は、正座ではなく、片足を立てているということ。。。
実際に、綾部宮司にお会いし、神社に参拝させて頂いたが、文学部歴史学科東洋史専攻でもあった、私からすると実に興味深い、そして信憑性のある伝説である。


●日本画家の大家、東山魁夷画伯の作品に、益田市の戸田小浜の海岸線をモデルにしたものがる。しかも、大作で、ひとつは、皇居の新宮殿の壁画「夜明けの潮」、もうひとつは、唐招提寺御影堂の 壁画「濤声」とのこと。
masudaumi_R.jpg
さすがの絶景!!!


と、まだまだ続けたいのだが、本日は定住サロンで、これからゴマ塩むすびを握ったり、準備をしないといけないので、本日はこのへんで。
あす、続きを書きます。

★ちなみに、本日のメニューは、北海道からお取り寄せのジンギスカン&日本海のイカの刺身等々、今からでも良かったらいらしてね!

日時: 2007年06月08日 15:26

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