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ある日の通勤途中、うっすらと雪をかぶった山々と灰色の曇り空を眺めながら「もし旅人がこの風景を見たら、彼の目にこの町は寂しげに映るだろう」と思った。けれども、島根県桜江町で四回目の冬を迎えた私は、この冷たい大地や木々たちの内に、すでに春の兆しが芽生えはじめていることを知っている。あとひと月もすれば、山々は青く萌え、木々には花が咲きほころぶ。やがて淡いピンク色があちこちに見えはじめると、そこに山桜があったことを知る。山桜からバトンタッチする様に、次は薄紫のフジの花々がそっと顔をのぞかせる。都会暮しが染みついた私にも、思わず息をのむほどの光景だが、その風情を表す言葉が見つからない。けれども、そんな山の表情を見て「あぁ山が笑うとる」と、地元の人が言ったという。つぼみがほころび、春を喜ぶその様子を、まるでふもとから見たかのような表現に、深い感動を覚えた。なんという優しくて温かい、そして豊かで美しい言い回しだろう。
桜が咲けば花見の名所へ、秋になれば紅葉の渓谷へと足を運ぶだけの都市の暮しでは、自然はただ断片的な風景でしかなかった。しかし、時の流れと共に命が巡りゆくこと、それこそが自然という言葉の本意なのだと、私はここで教えられた。そういえば、この地では「自然」を「じねん」と読むことが多い。初めは不思議だと感じたが、よくよく考えれば「自然」という漢字は「しぜん」ではなく「じねん」と読む方が、それこそ自然の様にも思える。命ある自然と、私たちは共に生きている。そんな、あたり前のことを習うと同時に、言葉にもまた命がある事を教えられた。お年寄りの話に耳を傾けると、「年を取る」ことを「年を拾う」といい、「味見」は「見る」でなく「味をきく」となる。「おはようございます」はなぜか「おはようございました」と過去形に、普段の会話の中には「みんさった、きんさった」と、さりげない敬語表現も見られる。いずれの言葉にも、生あるものへの謙虚さと、ゆったりとした時の流れ、それを語る人々の息吹が感じられる。これが言霊(ことだま)というものなのだろう。そんなことを思いながら、灰色の景色を眺めていたら、ふと「山ふところにいだかれて」という言葉が口をついた。平凡な言い回しだけれど、その表現がしっくりとする感覚だ。そして、言葉は知っていたけれど「山ふところにいだかれた」事など一度も無かったことに気がついた。思えば、今の私たちは初めに言葉を覚え、その概念をただ頭で理解しているだけで、その感覚の妙を知らずにいるのかもしれない。時が流れ、そして命が巡りゆく。その不変のリズムの中で、生かされている自分を見つけた時に、この地の人や自然や神に深く愛されていると、なぜか強く感じた。ほっとする様な安堵感とワクワクするような生命力の源を惜しみなく与えてくれているこの地を、私もまた愛してやまない。
ふだんならちょっと照れるところだけれど、今日は聖バレンタインデー。石見への思いを素直に言葉に表してみた。山々も、きっと顔をほころばせ優しく笑ってくれることだろう。
日時: 2007年02月10日 15:40
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